2013年04月30日
若獅子神社
神社が好きで富士山近郊の浅間神社なども回ったけれど、
先日富士宮の友人の所に行った時、若獅子神社を教えてくれた。
富士の裾野にある小さな神社で新しい神社だ。

大東亜戦争の時に少年戦車兵を教育する学校があった跡地だ。
そういえば、かの老経営者に聞いた事があった。
14歳から18歳までの若い少年を2年で屈強な戦車兵にする学校だ。
しかし、同時に悲しい話も聞いた、当時の日本の戦車は装甲が薄く、アメリカやソ連の
戦車の弾丸が当たると、貫通してしまう。しかも、砲弾の配給も乏しく、まともには戦えなかった。
との事だった。

この戦車も装甲25ミリ日本では中戦車だが海外の戦車から比べると小型だ。
それでも、この戦車でアメリカのM4中戦車に体当たりを食らわして
自決した隊もあったと聞く。
まだあどけない若者が、歯噛みをしながら向かって行ったのだろう。
せめて同じ性能の火器で戦わせてあげたかったと思うのは不遜だろうか。
しかし、この御霊によって今の平和が成り立ってきたのだ。

近くに行った方は一度手を合わせてあげてください。
とても静かな神社です。
先日富士宮の友人の所に行った時、若獅子神社を教えてくれた。
富士の裾野にある小さな神社で新しい神社だ。

大東亜戦争の時に少年戦車兵を教育する学校があった跡地だ。
そういえば、かの老経営者に聞いた事があった。
14歳から18歳までの若い少年を2年で屈強な戦車兵にする学校だ。
しかし、同時に悲しい話も聞いた、当時の日本の戦車は装甲が薄く、アメリカやソ連の
戦車の弾丸が当たると、貫通してしまう。しかも、砲弾の配給も乏しく、まともには戦えなかった。
との事だった。

この戦車も装甲25ミリ日本では中戦車だが海外の戦車から比べると小型だ。
それでも、この戦車でアメリカのM4中戦車に体当たりを食らわして
自決した隊もあったと聞く。
まだあどけない若者が、歯噛みをしながら向かって行ったのだろう。
せめて同じ性能の火器で戦わせてあげたかったと思うのは不遜だろうか。
しかし、この御霊によって今の平和が成り立ってきたのだ。

近くに行った方は一度手を合わせてあげてください。
とても静かな神社です。