2013年08月30日
戦後教育の問題
先日「はだしのゲン」についての記述をしたが、私なりの意見を書きたい。
私自身が小中学校で受けた教育は、「あなた方の親は、中国やアジアで
滅茶苦茶な事をして、現地の人を人間扱いせず、あまりに酷い事した。
だから、原爆を落とされ、その責任を取らされたのだ。」という事だった。
私の父親は職業軍人で中国戦線で多くの戦闘に参加、勲章も多数貰ったのだ。
しかし、学校でその様に教えられた私は、自分の父もそれをして来たのだろうと
思っていた。寡黙な父は多くを語らず、親子の会話など、ほとんどなかった。
その父は、80歳で亡くなった。そして父が亡くなってみて、その人生のついて良く見ると、
自制心も強く、その死におもむくときも、実に粛々としていた。
私は、とても父のマネは出来ない、その人間としての凛とした生きざまは、
誤魔化しや逃げについて一切無かった。
そんな父の姿や、お世話になったオジ達、そして経営を教えて貰った先生。
皆、大正一桁生まれで戦地に赴いて、九死に一生を得た人々達だ。
その人達の直接のの話や生き様をみて、そして最近やっと日の目を見た様な
多くに太平洋戦争時の真実を記した本、それらによって戦後教育で受けたプロパガンダ
洗脳教育から抜け出して、真実を真正面から見る事が出来る様になった。
「はだしのゲン」は、そのプロパガンダ教育を私に刷り込むのに最も役に立ったと思っている。
広島の原爆に碑にある「二度と過ちは犯しませんから」という言葉は、
日本人全員が、戦勝国アメリカに広島に原爆を落とされたのは、
我々が悪かったと言っている証拠だと思っていた。
だからこそ、原爆の悲惨さを教える資料なので公開すべきであると意見には反対だ。
18歳以上の大人が自由に閲覧するのは良いだろう。
しかし、小学生が、その残忍さと社会に対したひねくれた解釈の内容を積極的に見せつけて
トラウマを起こすような事は、百害あって利は無い。
大人になって、「こういう考え方の人もいた。」でちょうど良い。
広島の原爆の碑の言葉は、アメリカ合衆国大統領がサイン
すべきである事が解る大人になってからだろう。
私自身が小中学校で受けた教育は、「あなた方の親は、中国やアジアで
滅茶苦茶な事をして、現地の人を人間扱いせず、あまりに酷い事した。
だから、原爆を落とされ、その責任を取らされたのだ。」という事だった。
私の父親は職業軍人で中国戦線で多くの戦闘に参加、勲章も多数貰ったのだ。
しかし、学校でその様に教えられた私は、自分の父もそれをして来たのだろうと
思っていた。寡黙な父は多くを語らず、親子の会話など、ほとんどなかった。
その父は、80歳で亡くなった。そして父が亡くなってみて、その人生のついて良く見ると、
自制心も強く、その死におもむくときも、実に粛々としていた。
私は、とても父のマネは出来ない、その人間としての凛とした生きざまは、
誤魔化しや逃げについて一切無かった。
そんな父の姿や、お世話になったオジ達、そして経営を教えて貰った先生。
皆、大正一桁生まれで戦地に赴いて、九死に一生を得た人々達だ。
その人達の直接のの話や生き様をみて、そして最近やっと日の目を見た様な
多くに太平洋戦争時の真実を記した本、それらによって戦後教育で受けたプロパガンダ
洗脳教育から抜け出して、真実を真正面から見る事が出来る様になった。
「はだしのゲン」は、そのプロパガンダ教育を私に刷り込むのに最も役に立ったと思っている。
広島の原爆に碑にある「二度と過ちは犯しませんから」という言葉は、
日本人全員が、戦勝国アメリカに広島に原爆を落とされたのは、
我々が悪かったと言っている証拠だと思っていた。
だからこそ、原爆の悲惨さを教える資料なので公開すべきであると意見には反対だ。
18歳以上の大人が自由に閲覧するのは良いだろう。
しかし、小学生が、その残忍さと社会に対したひねくれた解釈の内容を積極的に見せつけて
トラウマを起こすような事は、百害あって利は無い。
大人になって、「こういう考え方の人もいた。」でちょうど良い。
広島の原爆の碑の言葉は、アメリカ合衆国大統領がサイン
すべきである事が解る大人になってからだろう。