2013年10月17日
人を育てる
久々に教育の話題だが、山形大学では3回欠席が続いたら、
大学側から本人に電話をして悩み事などの相談に応じるという。
なかなか親切な大学が出来たものだろうと思う。
しかし、賛否が分かれていて、やり過ぎだという意見と、
今の時代人格形成に大学も行うべきだという意見がある。
実は私は両方ともに賛成だ。
まず人は育てるものではなくて育つものだ。人格形成はテクニックではなく。
大学側の教師の人格が写るものだ。
だから教師がちゃんとすれば、生徒がついてくる。
しかし、だが反面今の時代に優れた教師も少なければ、生徒の質も劣化した。
だから、そういう生徒には「しつけ」が必要だ。
北大を興したクラーク教授は「紳士たれ」のルールを一つだけ提示して生徒に
示した。つまり紳士という概念を自己で確立せよという。
考えろ、と言い換えても良い。エリート教育とはこういうものだろう。
将来の日本の礎になる人をつくるには、be gentleの一言なのだ。
しかし、今の大学生は昔の大学生までの成長をしていない。
中学生か小学生レベルも本当に居る。だとすれば山形大学の選択は正しい。
無い理想を求めているだけでは意味はない。
現実の中でベストを考えるのも教育だ。
しかし、忘れてはならぬのは教育の理想は、be gentleだという事だろう。
大学側から本人に電話をして悩み事などの相談に応じるという。
なかなか親切な大学が出来たものだろうと思う。
しかし、賛否が分かれていて、やり過ぎだという意見と、
今の時代人格形成に大学も行うべきだという意見がある。
実は私は両方ともに賛成だ。
まず人は育てるものではなくて育つものだ。人格形成はテクニックではなく。
大学側の教師の人格が写るものだ。
だから教師がちゃんとすれば、生徒がついてくる。
しかし、だが反面今の時代に優れた教師も少なければ、生徒の質も劣化した。
だから、そういう生徒には「しつけ」が必要だ。
北大を興したクラーク教授は「紳士たれ」のルールを一つだけ提示して生徒に
示した。つまり紳士という概念を自己で確立せよという。
考えろ、と言い換えても良い。エリート教育とはこういうものだろう。
将来の日本の礎になる人をつくるには、be gentleの一言なのだ。
しかし、今の大学生は昔の大学生までの成長をしていない。
中学生か小学生レベルも本当に居る。だとすれば山形大学の選択は正しい。
無い理想を求めているだけでは意味はない。
現実の中でベストを考えるのも教育だ。
しかし、忘れてはならぬのは教育の理想は、be gentleだという事だろう。