2014年01月13日
零戦の映画
昨年は零戦の映画が2本あった。「風立ちぬ」と「永遠の0」だ。
「永遠の0」は今もやっているので、昨年とも限らないが、
私個人は昨年と今年2回観た。
昔からいくつかの戦争映画は見たのだが、この「永遠の0」の出来は、
非常に良いものだと思った、
ほぼ私が知る限りのあの時代の雰囲気が出ていた。
特撮のレベルもここまで来たかという感じもあった。
そう言った意味での臨場感もあった。
「風立ちぬ」はファンタジーなので、宮崎駿という人の気分を描いていて、
現実感はない。
あれはあれで絵が綺麗という意味で良く出来た作品で、
多分精神年齢が12歳くらいの所で止まって観た感覚で、
それはディズニーランドと同じく、体験すれば楽しい。
しかし、「永遠の0」は、我々日本人の先輩、
先祖達がどういう思いで国難に向かっていったかという物語だ。
私はこの映画には2つの点で感じた事があった。
1つは、特攻は自爆テロとは全く違うという点だ。
映画の中でのあったが、特攻で亡くなった人達は狂信者でも、
シャブ中でもない、普通の日本人なのだ。
彼らは、自分が特攻する事の意味をちゃんと理解しようとし、
犬死ではなく、自分の子子孫孫、後の日本人の為に自分は命を投げ出した。
戦後、アメリカや左翼が宣伝した様な狂気の人間達では断じてない。
もう1つは、魂になっても故郷に帰ると言った事だ。
ある尊敬する先輩の手記を読んだ事があった。
その方は、戦地で何度も死んだ方が楽だという目に遭った。
その時、死んだら魂だけでも自分の故郷の菩提寺の墓に帰ると思ったら、
心が安らぎ、あらゆる苦難に耐えられたあった。
きっと先祖の加護があったのだろうと。
そんな中に昔の日本人の本当の思いや生き様が見えた映画だと思う。
「零戦」は、ただ美しく高性能の夢のような飛行機として表現した、
自粛気味の「風立ちぬ」と、我々の先祖は、正々堂々と、かく生けり、
と正面から向かった映画との違いであったと思う。
「永遠の0」を観ていた映画館で、上映中そこここで若い女の娘が
鼻をすする声が聞こえたり、3時間近い映画中誰も動く気配のない映画だった。
きっと若い人達には新鮮な事だったのだろう。
そして自分たちに先祖達は決して狂信者でも戦争好きでもない
ちゃんとした人間である事を正面から表現したという事を。
「永遠の0」は今もやっているので、昨年とも限らないが、
私個人は昨年と今年2回観た。
昔からいくつかの戦争映画は見たのだが、この「永遠の0」の出来は、
非常に良いものだと思った、
ほぼ私が知る限りのあの時代の雰囲気が出ていた。
特撮のレベルもここまで来たかという感じもあった。
そう言った意味での臨場感もあった。
「風立ちぬ」はファンタジーなので、宮崎駿という人の気分を描いていて、
現実感はない。
あれはあれで絵が綺麗という意味で良く出来た作品で、
多分精神年齢が12歳くらいの所で止まって観た感覚で、
それはディズニーランドと同じく、体験すれば楽しい。
しかし、「永遠の0」は、我々日本人の先輩、
先祖達がどういう思いで国難に向かっていったかという物語だ。
私はこの映画には2つの点で感じた事があった。
1つは、特攻は自爆テロとは全く違うという点だ。
映画の中でのあったが、特攻で亡くなった人達は狂信者でも、
シャブ中でもない、普通の日本人なのだ。
彼らは、自分が特攻する事の意味をちゃんと理解しようとし、
犬死ではなく、自分の子子孫孫、後の日本人の為に自分は命を投げ出した。
戦後、アメリカや左翼が宣伝した様な狂気の人間達では断じてない。
もう1つは、魂になっても故郷に帰ると言った事だ。
ある尊敬する先輩の手記を読んだ事があった。
その方は、戦地で何度も死んだ方が楽だという目に遭った。
その時、死んだら魂だけでも自分の故郷の菩提寺の墓に帰ると思ったら、
心が安らぎ、あらゆる苦難に耐えられたあった。
きっと先祖の加護があったのだろうと。
そんな中に昔の日本人の本当の思いや生き様が見えた映画だと思う。
「零戦」は、ただ美しく高性能の夢のような飛行機として表現した、
自粛気味の「風立ちぬ」と、我々の先祖は、正々堂々と、かく生けり、
と正面から向かった映画との違いであったと思う。
「永遠の0」を観ていた映画館で、上映中そこここで若い女の娘が
鼻をすする声が聞こえたり、3時間近い映画中誰も動く気配のない映画だった。
きっと若い人達には新鮮な事だったのだろう。
そして自分たちに先祖達は決して狂信者でも戦争好きでもない
ちゃんとした人間である事を正面から表現したという事を。