2016年11月09日

狩猟社会と農耕社会

日本の文化を調べて行くと、見事に農耕社会の景色が見える。
戦国時代でさえ、かの織田信長でも、その基本は変らない。
彼は合理的で確かに強権的に見えるが、
家臣や、その家族に対する気配りの証拠がある。
欧米やシナ大陸の王の様に、部下を奴隷扱いしていないのだ。
今回電通が家宅捜索が入り、企業としての責任を問われているが、
この会社は、どうみても狩猟社会的企業だ。
部下に対しての扱いは、どうみても奴隷だ。
10年我慢して管理職になれば、貴族になるそうだが、
貴重な青春をかける価値がある仕事なのだろうか、
自死しなければならない社会は、継続する事は不可能な社会だろう。
狩猟社会では、大きい獲物を取ってきて一人前だ、
あらゆる敵を出し抜いてこそ価値がある。
農耕社会は違う、多くの人の協力あっての社会だ。
すこし弱い人間が居たとしても、その人に出来る仕事を与え、
皆で収穫する社会だ。
鎌倉武士でさえ、御恩と奉公というお互いの関係で成り立っている。
決して奴隷的主従ではない。
しかし、狩猟社会的企業が日本のは増えている。
どうも、大陸や半島出身者の影響を強く感じるが、どうなのだろう。
昔は歌を皆で歌いながら稲刈りをした。
そして豊作を喜び合ったのだ。
そんな社会の方が何倍も楽しかろうに。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:29Comments(0)日記