2010年03月31日
世代のギャップ
最近仏教について、本を読んだり、お坊さんと話したりする事があった。
たとえば、何故葬儀が必要なのか、お墓が必要なのかという話をした時、
私が一番しっくり来たのは、親とそれに連なる先祖に対する感謝の気持ちを
表現する事で、心の平安を得たり、子供の頃に帰ったりする事と思った。
具体的には、「吾亦紅」(われもこう)という歌があるが、それには共感する。
自分が子育てで苦労する年になると、自分を育ててくれた親の苦労や有り難味が
ズシリと来るものだ。
その時、親が居て親孝行の真似事でも出来ればよいが、日々の生活にとらわれて
気が付いたら親は亡くなっていた。
その申し訳なさを、少しでも癒すのが墓参り。
その時、お寺の和尚さんが、親の生前の事など話してくれたらどんなに救われるのだろう。
そんな事を思うのだが、私より少し若い世代だと解からない様だ。
ある年代になれば解かる様になるのだろうか。
それとも、お寺も変わったし、世代も変わったので、
そんな事期待する事が無理なのだろうか。
でも日本人は、最後には親の墓参りを人生の区切りと考える気はするけど・・
たとえば、何故葬儀が必要なのか、お墓が必要なのかという話をした時、
私が一番しっくり来たのは、親とそれに連なる先祖に対する感謝の気持ちを
表現する事で、心の平安を得たり、子供の頃に帰ったりする事と思った。
具体的には、「吾亦紅」(われもこう)という歌があるが、それには共感する。
自分が子育てで苦労する年になると、自分を育ててくれた親の苦労や有り難味が
ズシリと来るものだ。
その時、親が居て親孝行の真似事でも出来ればよいが、日々の生活にとらわれて
気が付いたら親は亡くなっていた。
その申し訳なさを、少しでも癒すのが墓参り。
その時、お寺の和尚さんが、親の生前の事など話してくれたらどんなに救われるのだろう。
そんな事を思うのだが、私より少し若い世代だと解からない様だ。
ある年代になれば解かる様になるのだろうか。
それとも、お寺も変わったし、世代も変わったので、
そんな事期待する事が無理なのだろうか。
でも日本人は、最後には親の墓参りを人生の区切りと考える気はするけど・・