2010年05月06日
新緑
春が来たやら来ないやらと言っているうちに、いつのまにか初夏という感じ。
県立美術館の周りを久々に散歩したのだけれど、例年ならツツジが咲き誇っている
季節なのに、3分くらいか、今年はこのまま終わるのではないかな。
それよりも新緑の季節という雰囲気。
新緑のかおりが立ち込めて、散策には一番良い季節かもしれない。
ついでに中央図書館にと思ったが、今は修理中という事で5月いっぱい休館。
まずは、心地の良い一汗かいたというところ。
県立美術館の周りを久々に散歩したのだけれど、例年ならツツジが咲き誇っている
季節なのに、3分くらいか、今年はこのまま終わるのではないかな。
それよりも新緑の季節という雰囲気。
新緑のかおりが立ち込めて、散策には一番良い季節かもしれない。
ついでに中央図書館にと思ったが、今は修理中という事で5月いっぱい休館。
まずは、心地の良い一汗かいたというところ。
2010年05月04日
季節感
今日、道を歩いていたらアゲハチョウが、民家の鉢植えの花で蜜を
すっていた。
何気なく見ていたのだが、この街中(といっても、清水駅の傍なのだが)で、
どこから飛んできたのだろう。畑もないし、雑木林もないし・・・・
考えてみたら、ここで昆虫を見たのは、何年ぶりだろう。
子供の頃は、初夏から夏といえば、
捕虫網を持って一日中近くの畑やら林やらを駆け回っていたのに、
今はビルと道路そしてコンビ二しかない。
そういえば神社にお参りしても昆虫のたぐいは見る事がない。
昆虫は自然のバロメーターの様なきがする。
きっと昆虫が住める町は人も住みやすいのではないだろうか。
昨日テレビを見ていたら、今年は山のミツバチがとても減少して、町の普通に家の
庭から蜜を集めているらしい。
自然のミツバチは、農薬を極端に嫌い、少しでも農薬の気配がすると、
その花には近づかないらしい。
昆虫が元気なのは、農薬が少ない事の証明なのかもしれない。
昆虫も自然に一部、もっと増えてほしいし、
それを追っかける子供のも増えるといいね、
しかし交通事故にはきをつけないとね。
すっていた。
何気なく見ていたのだが、この街中(といっても、清水駅の傍なのだが)で、
どこから飛んできたのだろう。畑もないし、雑木林もないし・・・・
考えてみたら、ここで昆虫を見たのは、何年ぶりだろう。
子供の頃は、初夏から夏といえば、
捕虫網を持って一日中近くの畑やら林やらを駆け回っていたのに、
今はビルと道路そしてコンビ二しかない。
そういえば神社にお参りしても昆虫のたぐいは見る事がない。
昆虫は自然のバロメーターの様なきがする。
きっと昆虫が住める町は人も住みやすいのではないだろうか。
昨日テレビを見ていたら、今年は山のミツバチがとても減少して、町の普通に家の
庭から蜜を集めているらしい。
自然のミツバチは、農薬を極端に嫌い、少しでも農薬の気配がすると、
その花には近づかないらしい。
昆虫が元気なのは、農薬が少ない事の証明なのかもしれない。
昆虫も自然に一部、もっと増えてほしいし、
それを追っかける子供のも増えるといいね、
しかし交通事故にはきをつけないとね。
2010年05月03日
掃除の神様
掃除の神様と言われた経営者がいる。
その人が掃除をしているビデオを見るのだが、トイレの掃除を素手で丁寧にしている。
自分の会社に心の文化を創ろうと、自分が率先垂範、部下には強制した事は無いそうだ。
しかし部下には、掃除しているその社長の横で平気で用を足している部下も多くいたという。
その社長は、その部下のしぶき(?)を浴びながら、こういう人間が居なくなる会社を
造ろうと思ったそうだ、確かにその部下は無神経で非常識だ、しかし、ふと思った。
自分も、あるビルでトイレをいつも同じ時間に行くと、必ずトイレ掃除のおばさんがいる。
行くと慌てて、空けてくれるのだが、ちょっといらってして「少し時間をずらす事考えないのかなぁ」
と思っていた自分がいた。
考えてみれば、その部下とあまり変わりがないのかもしれない。
トイレ掃除のおばさんとして見下ろして考えている。
せめて「あり難い」と思えない事が情けない。
掃除の神様はやはり神様だ。なかなかおよびつかないものだ。
でも、確かに皆がお互いに心から「あり難い」と言える社会になれば、
住み易い事は、確かだろう。
その人が掃除をしているビデオを見るのだが、トイレの掃除を素手で丁寧にしている。
自分の会社に心の文化を創ろうと、自分が率先垂範、部下には強制した事は無いそうだ。
しかし部下には、掃除しているその社長の横で平気で用を足している部下も多くいたという。
その社長は、その部下のしぶき(?)を浴びながら、こういう人間が居なくなる会社を
造ろうと思ったそうだ、確かにその部下は無神経で非常識だ、しかし、ふと思った。
自分も、あるビルでトイレをいつも同じ時間に行くと、必ずトイレ掃除のおばさんがいる。
行くと慌てて、空けてくれるのだが、ちょっといらってして「少し時間をずらす事考えないのかなぁ」
と思っていた自分がいた。
考えてみれば、その部下とあまり変わりがないのかもしれない。
トイレ掃除のおばさんとして見下ろして考えている。
せめて「あり難い」と思えない事が情けない。
掃除の神様はやはり神様だ。なかなかおよびつかないものだ。
でも、確かに皆がお互いに心から「あり難い」と言える社会になれば、
住み易い事は、確かだろう。