2013年05月16日

歴史に見る経済2

18世紀初頭、日本では将軍吉宗が、緊縮財政政策を行った。
8代将軍吉宗は多くの善政を行ったのだが、経済はまったくの音痴であった。
その中で目安箱を設けて意見を募集した時、浪人の山下幸内というものが、
この経済政策を批判した。
その内容は、「昔、豊臣秀吉公は2度もご金蔵(中央銀行)をカラにした。
その時、金銀は有能な士と同じだ、閉じ込めておくと牢に閉じ込めておくのと同じだ、
天下国家のために世に出すのだ。と申した事は、まことに理にかなっている。
金銀は、血液と同じで世に流し出さなければ体を腐らせるものだ。」と言った。
後の世の20世紀のケインズが聞いたら驚くような知恵を当時の武士のしかも、
浪人が理解出来ていた事自体非常に驚きだが、それでも財政引き締めを止めなかった
吉宗は、その一点で名君ではなかった。
しかし、ことほど左様に歴史は繰り返している。
日本は明治の時に欧米に学ぼうとしたが、欧米より遥かに進んだ部分がある事を
忘れてはならない。
そしてそれを正しく評価する事が、これから日本の将来にプラスになる事であるし、
それを世界に広める事が、植民地経済から抜き出せない世界にとって最も救いの
材料になるだろうとも思う。
将来の日本人には、それを誇りとして生きてほしいものだ。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 12:50Comments(0)経済