2009年08月19日
安倍七観音(法明寺)
安倍七観音の一番元になるのが、この法明寺の大楠木の伝説にある。それは、
美和村足久保の法明寺の境内に楠の大木があったが、夜になると怪しい光を出した。
村の人達は驚き、何か悪い事が起きる前じらせではないかと心配した。
丁度その頃、延暦年間(800~805)奈良の都では、
聖武天皇がご病気で大変ご容態が悪かったので、お側の人々が心配してご看病したが、効き目が無かった。
そこで陰陽博士に占わせたところ「ここよりはるかの東の国に、千年を経た楠の大木があり、
今まさにその樹の寿命が尽きようとしている。
樹は尊い仏体に彫刻されて人々を救いたいと願っている、その望みも叶えられそうもないので、
天子様のお体を悩ませ奉るのである。
その楠を探し出して、尊い僧に仏体を彫刻させて拝んだならば、
お悩みはたちまち治るであろう」と申し上げた。
そこで日本中の国々に命じて千年の齢を経た楠の老樹を尋ねさせた。
そこへ、駿河の国司から、美和の郷にある楠の老樹の事を報せてきた。
それで、天皇は、その頃、徳の優れた、有名な行基という僧侶を駿河国へ下らせた。
みことのりを受けた行基は、遠い旅路をはるばると、夜に日についで道を急ぎ、美和の郷に着き、
早速、村人に案内させて足久保の山中に入り、空一杯に枝を張った楠を見た。
成る程、これこそ千年の齢を終えようとする樹である。この樹こそ仏体を彫刻するにふさわしい樹だ。
とその楠を切り倒させようとした。
村人が楠に丁とばかり斧をあてると、樹の切り口から真っ赤な血がほとばしった。
枝下七十メートルの楠が倒れると村中に巨大な地響きが鳴り渡った。
村人は驚き斧を捨てて真っ青な顔をしてふるえた。
しかし、行基は恐れる村人達をはげまし、なおも丁々と伐らせると、
その切り口から血はコンコンと湧き溢れ、足久保川は樹液で真っ赤に染まったという。
やがて倒された楠は長さ三十三尋(約50メートル)直径十三間(約24メートル)もある大木であった。
行基は身を清め、一刀三礼といって、刃を当てるたびごとに三回拝んで、
七体の観世音菩薩を彫り終えた。
これを駿河国府に近い七つのお寺に安置して、十七日の間、天皇の後脳平癒の祈願を執り行った。
そのためか奈良の都においでの天皇のお悩みもすっかり、ご平癒遊ばされた。
行基は楠の切り株の近くにお堂を建て、その中に観世音菩薩を安置した、というお話。
この七体が安倍七観音の七体という事のようです。
いまの法明寺の観音堂(写真)、静かな普通のお寺という感じです。
美和村足久保の法明寺の境内に楠の大木があったが、夜になると怪しい光を出した。
村の人達は驚き、何か悪い事が起きる前じらせではないかと心配した。
丁度その頃、延暦年間(800~805)奈良の都では、
聖武天皇がご病気で大変ご容態が悪かったので、お側の人々が心配してご看病したが、効き目が無かった。
そこで陰陽博士に占わせたところ「ここよりはるかの東の国に、千年を経た楠の大木があり、
今まさにその樹の寿命が尽きようとしている。
樹は尊い仏体に彫刻されて人々を救いたいと願っている、その望みも叶えられそうもないので、
天子様のお体を悩ませ奉るのである。
その楠を探し出して、尊い僧に仏体を彫刻させて拝んだならば、
お悩みはたちまち治るであろう」と申し上げた。
そこで日本中の国々に命じて千年の齢を経た楠の老樹を尋ねさせた。
そこへ、駿河の国司から、美和の郷にある楠の老樹の事を報せてきた。
それで、天皇は、その頃、徳の優れた、有名な行基という僧侶を駿河国へ下らせた。
みことのりを受けた行基は、遠い旅路をはるばると、夜に日についで道を急ぎ、美和の郷に着き、
早速、村人に案内させて足久保の山中に入り、空一杯に枝を張った楠を見た。
成る程、これこそ千年の齢を終えようとする樹である。この樹こそ仏体を彫刻するにふさわしい樹だ。
とその楠を切り倒させようとした。
村人が楠に丁とばかり斧をあてると、樹の切り口から真っ赤な血がほとばしった。
枝下七十メートルの楠が倒れると村中に巨大な地響きが鳴り渡った。
村人は驚き斧を捨てて真っ青な顔をしてふるえた。
しかし、行基は恐れる村人達をはげまし、なおも丁々と伐らせると、
その切り口から血はコンコンと湧き溢れ、足久保川は樹液で真っ赤に染まったという。
やがて倒された楠は長さ三十三尋(約50メートル)直径十三間(約24メートル)もある大木であった。
行基は身を清め、一刀三礼といって、刃を当てるたびごとに三回拝んで、
七体の観世音菩薩を彫り終えた。
これを駿河国府に近い七つのお寺に安置して、十七日の間、天皇の後脳平癒の祈願を執り行った。
そのためか奈良の都においでの天皇のお悩みもすっかり、ご平癒遊ばされた。
行基は楠の切り株の近くにお堂を建て、その中に観世音菩薩を安置した、というお話。
この七体が安倍七観音の七体という事のようです。
いまの法明寺の観音堂(写真)、静かな普通のお寺という感じです。
