2009年08月21日
安倍七観音(増善寺)
この増善寺については、安倍七観音の当時の資料は手に入らなくて、
その後、守護大名今川氏親の菩提寺として有名。
七代氏親は、今川家の歴代当主らが臨済宗系であるなか、
例外的に曽洞宗に帰依していた。
これは幼時に家督争いに巻き込まれた時の周りの縁者の影響と言われる。
夫人の寿桂尼(氏親没後に出家)は、公家の娘で、当時争乱で疲弊した京都を逃れ、
駿府に下向する公家らが多く駿府は小京都をうたわれていた。
ここには、氏親の木像が残されている。今川文書は静岡市の文化財である。
静けさの中のたつ観音堂(写真)

その後、守護大名今川氏親の菩提寺として有名。
七代氏親は、今川家の歴代当主らが臨済宗系であるなか、
例外的に曽洞宗に帰依していた。
これは幼時に家督争いに巻き込まれた時の周りの縁者の影響と言われる。
夫人の寿桂尼(氏親没後に出家)は、公家の娘で、当時争乱で疲弊した京都を逃れ、
駿府に下向する公家らが多く駿府は小京都をうたわれていた。
ここには、氏親の木像が残されている。今川文書は静岡市の文化財である。
静けさの中のたつ観音堂(写真)

2009年08月21日
ゆきてかえらぬ
もうだいぶ前になるが、そんな名前の本を読んだ。
亡くなった人達に対する作者の思いが綴られた本だった。
詳細については忘れてしまったが、この題名(ゆきてかえらぬ)が鮮明に残っている。
この世の中に多くの人達がうまれ出て、いつかは、亡くなっていく。
それぞれ成功作や失敗作の人生もあっただろうし、
自分の天命を知った人もいたろうし、そうでない人もいたろうと思う。
そう思いながら、こうしてブログを書くと、子供の頃から自分に関わってきてくれた
多くの大人達を思い出す。しかも、可愛がってもらったり、育ててもらったり、
そのおかげで今があり、これから自分が後の世代のために、せめて自分が受けてきた分くらいの恩を
返してから、いけるだろうか?・・・そんな事を考えると、
「あかん、そんなもんでは、ゆるしまへんで」と、心の中に
何故か関西弁の答えが帰ってきた。
亡くなった人達に対する作者の思いが綴られた本だった。
詳細については忘れてしまったが、この題名(ゆきてかえらぬ)が鮮明に残っている。
この世の中に多くの人達がうまれ出て、いつかは、亡くなっていく。
それぞれ成功作や失敗作の人生もあっただろうし、
自分の天命を知った人もいたろうし、そうでない人もいたろうと思う。
そう思いながら、こうしてブログを書くと、子供の頃から自分に関わってきてくれた
多くの大人達を思い出す。しかも、可愛がってもらったり、育ててもらったり、
そのおかげで今があり、これから自分が後の世代のために、せめて自分が受けてきた分くらいの恩を
返してから、いけるだろうか?・・・そんな事を考えると、
「あかん、そんなもんでは、ゆるしまへんで」と、心の中に
何故か関西弁の答えが帰ってきた。