2010年01月21日

母の手

私には今年90歳になる母が居る。
お陰と耳が遠い事と、少し忘れっぽいところを除けば、まあ元気です。
本人も、「もしかしたら、あと5年以上生きてしまうかも知れない。」と言っていた。
私は、「なーに、今は100歳も珍しくも無い。」と対応。
そんな時間を過ごしている。
先日、一緒に食事をする時に、母の手が語った。(気がしただけだけど)
炊きたてのジャーからご飯をよそるのに、なんども、なんども、混ぜ合わせる。
むかしは、お櫃にご飯を移すのに、米の炊け方のムラを直すのに、
そうしたのだろうが、今は、その必要も無い。
少しイラットして、「早くしてよ」と言おうとしたけれど、その手元をみていたら
気持ちが変わった。
大正生まれの母は、戦前、戦中、戦後を生き、焼夷弾にさらされ
命からがら、赤ちゃんを背負い逃げ回った。
そして戦後の食料難、子供に食べさせる米を探すのにも苦労したのだった。
そんな母が、真っ白な白米の炊き立てのご飯を、大事に大事に、
混ぜている姿は、今、このご飯を食べれる、そして家族が集まっている幸せを
かみ締めているかのように写った。
そんな訳で、しばらくその姿をみとれた後、食事をした。
そうだ、幸福というのは、凄い事では無くて、こんな小さなことに感じる事であったのだ、
母の手は雄弁にそれを語ってくれた。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 15:04Comments(0)日記