2013年04月04日
新入社員研修
今回は例年と違う研修所で研修しているのだが、隣には中国人の若い女の人達の
グループが、そのほかには、小学生のサッカー少年団の子供達。
数百人単位の新入社員研修に人達など賑やかだ。
特に元気な小学生達と食堂で会うと彼らの食欲には目を見張る。
しかも短パンで走りまわっている。
こういう刺激も楽しくていい。国の施設なので国旗にの掲揚と君が代が流れる。
なんか懐かしい気分で見ていた。
明日に向かってエネルギッシュに若者たちと動き回っていると、気分が華やいでくる。
しかも、そこここで小学生たちが元気に挨拶してくると微笑ましくて楽しいものだ。
この若者と子供たちの未来が良くなる様にと祈りたくなる。
今日は目の前の富士山が顔を出した。
懐に子供たちを抱えたビッグマザー、そんな気にふとなった。
グループが、そのほかには、小学生のサッカー少年団の子供達。
数百人単位の新入社員研修に人達など賑やかだ。
特に元気な小学生達と食堂で会うと彼らの食欲には目を見張る。
しかも短パンで走りまわっている。
こういう刺激も楽しくていい。国の施設なので国旗にの掲揚と君が代が流れる。
なんか懐かしい気分で見ていた。
明日に向かってエネルギッシュに若者たちと動き回っていると、気分が華やいでくる。
しかも、そこここで小学生たちが元気に挨拶してくると微笑ましくて楽しいものだ。
この若者と子供たちの未来が良くなる様にと祈りたくなる。
今日は目の前の富士山が顔を出した。
懐に子供たちを抱えたビッグマザー、そんな気にふとなった。
2013年04月02日
春の嵐
新入社員研修で合宿所に来たが、
あいにくの春の嵐。
マラソンは様子見、ただどこか別の会社の新人研修は、雨中ランニング。
風邪でもひかれても思うのだが、
それはその会社の作法だろう。
若い人が門出である事は間違いない。不安と希望が交差する時間。
新入社員には嵐もまたいい思い出だろう。
君たちにあるのは新しいあした。
それに付き合うのも、私の楽しみ。
あいにくの春の嵐。
マラソンは様子見、ただどこか別の会社の新人研修は、雨中ランニング。
風邪でもひかれても思うのだが、
それはその会社の作法だろう。
若い人が門出である事は間違いない。不安と希望が交差する時間。
新入社員には嵐もまたいい思い出だろう。
君たちにあるのは新しいあした。
それに付き合うのも、私の楽しみ。
2013年04月02日
国民栄誉賞
長嶋茂雄と松井秀喜が国民栄誉賞を貰うとか。
面白い人選で色々な意見が出ている。
曰く、長嶋は当然だが松井は早くないか?いや何故同時なのだ。
松井はそれほどの記録がない。など色々な意見がある。
でも素直に話題として明るくて良い。
長嶋は誰がみても当たり前すぎて、何故忘れていたのかというくらいだ。
昭和の時代に長嶋に憧れない野球少年はいなかった。
松井秀喜は、ある面の日本野球をアメリカ人に体現して見せたと思う。
それはスポーツマンシップとかヒーローシップとか、良きアメリカの精神性を、
日本野球が一番表現しているという事だろう。
謙虚で穏やかで静かな闘志。
良い意味での日本人というものを見せてくれた選手という事だろう。
いずれにせよ安倍首相のヒットいやホームランにしておこう。
だって長嶋と松井なのだから。
面白い人選で色々な意見が出ている。
曰く、長嶋は当然だが松井は早くないか?いや何故同時なのだ。
松井はそれほどの記録がない。など色々な意見がある。
でも素直に話題として明るくて良い。
長嶋は誰がみても当たり前すぎて、何故忘れていたのかというくらいだ。
昭和の時代に長嶋に憧れない野球少年はいなかった。
松井秀喜は、ある面の日本野球をアメリカ人に体現して見せたと思う。
それはスポーツマンシップとかヒーローシップとか、良きアメリカの精神性を、
日本野球が一番表現しているという事だろう。
謙虚で穏やかで静かな闘志。
良い意味での日本人というものを見せてくれた選手という事だろう。
いずれにせよ安倍首相のヒットいやホームランにしておこう。
だって長嶋と松井なのだから。
2013年04月01日
往く人
ここの所お葬式に出る機会が多い。
しかも長命な方達の大往生と言えるかも知れない人達である。
老経営者以外は100歳近い長命な女性たち。
一人は、私の生家の隣のおばあさん、小さい頃あがりこんで食事を御馳走になったり、
自分の子供も他人の子供もわけへだてもなく叱ったり声をかけたり、
ふくよかでパワフルな姿を思い出した。
もう一人の方は友人のお母さん、50歳を過ぎた息子の海外赴任先に
70歳過ぎて飛行機で飛んできた人。
双方の人は、たまたま同い年、戦争の中子供を抱え命がけで逃げまくり、
戦後の食糧難の時代は子供たちに食事をさせるために自分の食事を顧みず生きた。
そして、早くに夫に先だたれしても、子供の世話、孫の世話に人生をかけてきた。
私の母ともだぶる戦後の母さん達。
きっと戦後の日本経済はこの人達がなしえた偉業なのだ。
その証拠は、この母の喪主を務めた60代後半の長男は、人並み以上に
戦後の経済発展に帰依してきた男たちだが、
後姿がこんなに寂しい。母への感謝と寂しさをすべての人に伝えている。
合掌
しかも長命な方達の大往生と言えるかも知れない人達である。
老経営者以外は100歳近い長命な女性たち。
一人は、私の生家の隣のおばあさん、小さい頃あがりこんで食事を御馳走になったり、
自分の子供も他人の子供もわけへだてもなく叱ったり声をかけたり、
ふくよかでパワフルな姿を思い出した。
もう一人の方は友人のお母さん、50歳を過ぎた息子の海外赴任先に
70歳過ぎて飛行機で飛んできた人。
双方の人は、たまたま同い年、戦争の中子供を抱え命がけで逃げまくり、
戦後の食糧難の時代は子供たちに食事をさせるために自分の食事を顧みず生きた。
そして、早くに夫に先だたれしても、子供の世話、孫の世話に人生をかけてきた。
私の母ともだぶる戦後の母さん達。
きっと戦後の日本経済はこの人達がなしえた偉業なのだ。
その証拠は、この母の喪主を務めた60代後半の長男は、人並み以上に
戦後の経済発展に帰依してきた男たちだが、
後姿がこんなに寂しい。母への感謝と寂しさをすべての人に伝えている。
合掌