2013年12月17日
墓まいり
最近、昔頂いた本を読み返す機会があった。
その本の著者は、終戦を満州で迎え、職業軍人でもないのに
ソ連兵に捉えられ、なんと10年以上もシベリアで抑留生活をした挙句、
奇跡的に日本の土を踏んだ方だった。
帰国後は40年あまり地域振興のために尽力され退職後、
大往生をされた方なのだが、その方に指導をされた有志が彼の足跡を
本にしたものだった。
その本の中に有った内容なのだが、
シベリアでの抑留生活は熾烈を極め、発狂者も出てくる中で、毎日の拷問に耐えかね
何度が自殺を図るなか、ふと故郷(ふるさと)の清水にある先祖の墓が脳裏に浮かび
もし自分が死んだら、魂となり、あそこに帰ってみせると、こころから念じると、
不安や絶望で一杯だった心が、不思議と落ち着いた。
とあった。
それを読みながら、最近は墓はいらない、散骨してくれ、とか、
先祖の墓を捨てるとか、いろいろな事情はあるのだろうが、
先祖の墓がそこにあり、自分もいつかそこに入るという
当たり前さの大事さを思った。
戦後、西洋化した発想で死ねば魂などはないというが、
先祖の眠る墓に入り、その墓を子孫が大事にする事の価値は、
魂自体を大事にする事ではないだろうか。
やはり、墓参りは大切な事だと思い直す出来事だった。
その本の著者は、終戦を満州で迎え、職業軍人でもないのに
ソ連兵に捉えられ、なんと10年以上もシベリアで抑留生活をした挙句、
奇跡的に日本の土を踏んだ方だった。
帰国後は40年あまり地域振興のために尽力され退職後、
大往生をされた方なのだが、その方に指導をされた有志が彼の足跡を
本にしたものだった。
その本の中に有った内容なのだが、
シベリアでの抑留生活は熾烈を極め、発狂者も出てくる中で、毎日の拷問に耐えかね
何度が自殺を図るなか、ふと故郷(ふるさと)の清水にある先祖の墓が脳裏に浮かび
もし自分が死んだら、魂となり、あそこに帰ってみせると、こころから念じると、
不安や絶望で一杯だった心が、不思議と落ち着いた。
とあった。
それを読みながら、最近は墓はいらない、散骨してくれ、とか、
先祖の墓を捨てるとか、いろいろな事情はあるのだろうが、
先祖の墓がそこにあり、自分もいつかそこに入るという
当たり前さの大事さを思った。
戦後、西洋化した発想で死ねば魂などはないというが、
先祖の眠る墓に入り、その墓を子孫が大事にする事の価値は、
魂自体を大事にする事ではないだろうか。
やはり、墓参りは大切な事だと思い直す出来事だった。