2011年07月07日

寅さん映画の楽しみ

楽しみで「男はつらいよ」のDVDを見ているが、ストーリー以外にも多くの楽しみがある。
この前は、35年前の沼津駅が出てきた。確かみ見覚えがある。
そそそう、あんな改札だった、あんな建物もあった、などと見ていた。
35年前の上野駅も、そこここに覚えがある。
過去の景色は、こんな形で残すのもありだなと思う。
役者も圧巻だ。笠智衆、嵐寛寿郎、三木のり平、 ミヤコ蝶々などの演技は、
見事としか言いようがない。
笠智衆、嵐寛寿郎は、言葉ではなく風情で演技している。今はこんな役者は居ない。
三木のり平、 ミヤコ蝶々が、誘う笑いは人間の業や悲しさを笑いに変えた技がある。
それこそ上質の落語を聞いているのに近い気がする。
今テレビをつけても、いつものお笑いタレントが、いつもの笑いを取るのを見るより、
ずっと上質の時間が過ごせた気分。
日本人の原点を思い起こされる時間。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:43Comments(0)日記

2011年07月06日

スマートフォン

アイフォンやアンドロイド端末が出て、どちらが市場を制するかと言うような
争いをしているけれど、基本的にはめんど臭がりなので、眺めていた。
しかし、ある程度人に説明する必要に迫られて、アンドロイドのスマートフォンを
購入した。
いままで、携帯を操作しているので、この指で撫でる操作法は馴染みがないが、
でもやれば出来るという事か、使ってみたら面白い。
元々ゲーム的なモノや機械的なオモチャは好きなので、まーいいかという感じ。
しかし、2年ほど前に見た初期型と比べて、すごい進化だ。
ここの市場が沸騰している事を思わせる。
これらが持ち歩くパソコンの変わりが出来るかというと、YESだと思う。
これにより高性能な開発型、業務型のパソコンと持ち運び用の物が住み分けするだろう。
ITの進歩は、本当の早い。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:52Comments(2)日記

2011年07月05日

最大不幸社会

現首相が首相に就任した時、最小不幸社会を作ると言っていた。
そして1年、外国人からの献金問題で、退任になる寸前3.11が発生した。
周りは、このような非常時に政争でもないだろうと、現政権の延命を支援した。
しかし、その結果3ヵ月経って何も変わらない。
阪神・淡路の時には、すでに復興の足音すら聞こえたはずなのに・・・
状況が違うといっても、満足に被災者に支援金すら渡せない現状。
そして、3ヵ月前にすぐ居なければならない復興省がやっと決定。
すこしは復興に動くかと思えば、暴言で辞職だと、
何が最小不幸社会だ、最大不幸社会にしているのは、あなたですから・・
と古いギャグが出てしまった。
しかし、今朝のブログに松本大臣が言っていた九州人を突っ込んで、
映画の中で高倉健が、「お前みたいな人間は、九州では草野球のキャッチャーと言うんだ。」
「意味は、ミットも無い。」
と突っ込む暇もありませんでした。
ギャグの政治はいつまで続くやら。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 10:16Comments(0)日記

2011年07月04日

恐怖の休日運転

休日の買い物のために電気の量販店に行った。
車で左折して駐車場に入ろうとしたら、高校生らしき自転車が走って来たので、
それをやり過ごしてから入ろうと待っていた。
三台が通り過ぎ、安全を確認して駐車場に入ろうとしたら、街路樹の影からすごい勢いで
自転車が一台前を通り過ぎて行った。
思わず急ブレーキを踏んだのだが、こちらはスピードが遅かったので、問題がなかった。
やれやれと思いながら駐車場に入り、係員の指示もあり駐車場に入れようとしたら、
すごい勢いで前から車が・・・
ここは一方通行なのだが、子供連れのお母さんが、我関せずの姿。
それを隅によってかわして駐車場に車をいれた。
なんかそこで、ガックリ来てしまった。
しかも、そのあとエアコンの話を聞くのも係員に札を渡されて、30分以上もただ待たされた。
そんな、おまけがついた一日。
休日は、家でおとなしくしているべきだったんだ、きっと。  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 09:12Comments(0)日記

2011年07月02日

未来は明るい

昨日はブログを更新しなかった。
というより、本当に忘れてしまっていた。完璧に忘れていたのは珍しい。
今日書こうとして気がついた。
それは、それとして昨日は3ヵ月遅れの新入社員の歓迎会があり、それに出席した。
もう10年毎年3週間近く新入社員教育をやってきた会社が、今年は大震災の影響の
自粛で歓迎会をやってなかったのだ。
3ヵ月経った新入社員は、元気に動き回り、5月病など全くないようだった。
しかし、他の社員をよく見ていると、輝きを放っている社員が増えているのに驚いた。
私が最初に教えた社員は既に30歳を超えていていっぱしになっているが、
人によっては数年間社会人の壁が超えられなくて鬱々しているのが見て取れた。
なぜだかそれが綺麗に晴れた人が一気に増えた様だ。
どうも話を総合すると、日本全国に支社がある、その会社では、全社をあげて
震災にあった支社を支援した様だ、会の初めに、その支社の代表が、全社員の前でお礼をいい
感謝の言葉を述べていた。
それは決して形だけのものでは無かった。
その全社をあげて被災支社を支援するのを見ていた、社員一人一人が自分の仕事に
対する使命感を感じたのではないのだろうか、
上司から成績を上げろと言われるよりも、自分が頑張れば、多くの人たちの役にたち
幸せにする事が出来る事が実感できたのではないか。
式の最初に社長は、「この国は必ず、前以上の復興が出来る。」と宣言したが、
かれら社員の目の色をみていた私も同感だ。
自分の生きる目的をつかんだ若者がいれば、何も怖いものはない。
なるほど、未来は明るい。
  


Posted by 昔のシステムエンジニア at 14:17Comments(0)日記