2013年07月31日

高野山詣で

今年天寿を全うし、黄泉の世界に旅立った私の恩師は、
辞世の句として、「見送らん 人は無くとも 胸張って 渡る三途や 高野山」
という辞世の句を残した。2月25日の事だった。
職業軍人のエリートとして、多くの戦友を戦地で亡くした。
その戦友と高野山で待ちあう約束をして、墓を建ててあるという。
見事な最後と、故人の人柄で、どこかあっさりした気分がしていたが、
半年経ち、この辞世の句を読んでいたら、喪失感が自分をとらえ始めた。
知らず知らず、こんな時、あの人は何というのだろう。
どんな顔をして言うのだろうと、さかんに思い出す。
そう、ちゃんと私の中に住んでくれているのだ。
そう思ったら、とても会いたくjなった。
そうだ、高野山に行こう。故人が戦友と落ちあい、神になったあの場所へ、
そこで落ちあい各地の護国神社の神となる。
そんな気がしている夏の夜長。  


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2013年07月30日

夏はご用心

榊原郁恵のそんな歌があったが・・・ 年がバレルか。
昨日はブログを更新しようと、パソコン画面を何度か立ちあがたが、立ち上がらなかった。
それで更新を諦めた。今日も立ち上げようとしたが立ち上がらない。
プロパイダーのHPで確認したが、いくつかの町で回線不全が起きたとなっていたが、
この町は特に書いてない。だけど、もしかと思い、モデムの電源を切って立ち上げてみた。
しっかり直ってしまった。という事は、きっと短時間の回線不全があったのだが、
プロパイダーに報告する人がいなかったのだろう。
そして、WEBバンキングで入力していたら、突然落ちてしまった。
入力ミスで落ちたという説明だが、システムに問題があるのだろう。
システムというものは、そんなに簡単に落ちるものではない。
電話線は今は光回線なのだが、この暑さでどこかのリレーがやられたのではないだろうか。
コンピューターこそが最も暑さに弱い。
そういえばサーバーがこけて、パソコンが誤動作して、泣きつかれるのもこの時期だ。
今年は、そんな話が多くなる年になりそうだ。
残暑までは遠い道のり、皆様もまず体にご用心、ご用心。  


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2013年07月27日

老害監督

しかし宮崎駿の憲法論議には呆れた。
老害とはこの事をいう。単なるアニメ作家の戯言を、世界的巨匠として話しているのなら、
無責任といしか言いようがない。
自衛隊は自衛隊のままでいい。
災害の時の自衛隊は、とても、ありがたいので軍隊になる必要はない。
軍隊とういのは、だめだという。国連PKOで海外から無事帰って来ると拍手をするという。
なんとも滅茶クチャな話だ。
海外に出ると、相手は軍隊だ。いつ重火器で撃っても、殺しても良いと思っている人間だ。
自衛隊は、重火器も使えないし、相手が撃たない限り応戦が出来ない。
だから中国の兵隊は日本の自衛隊に対して、平気でロックオンをしてくるのだ。
アメリカ兵には絶対出来ない。彼らは本当に戦う事を知っているからだ。
ロックオンされた自衛隊員の気分はどうだろう。
それはいつでもお前を殺せると宣言されているという事なのだ。
拍手より、相手のそれをさせない権利が大事なのだろうに。
そして見て見ないふりしていれば、中国・韓国は理不尽な言動を止めるというのだろうか。
それらの譲歩を歴代内閣が繰り返してきた結果が、いまの両国ののノサバリだ。
御花畑症候群はアニメでは楽しいが現実の世界では、
消えてしまった社民党だけにしてほしいものだ。
後の世代に若者に間違った負い目を伝える事は止めて、
七十も過ぎたのだから引退して、温泉旅行でも行って自慢話でも花を咲かせれば良いのに。
ファンタジィは、アニメの世界でこそ意味がある。
  


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2013年07月26日

技術立国日本

ゼロ戦を作った堀越次郎。F1で世界をとった本田宗一郎。
日本には伝説の技術者がいる。
私もソフトウェアの技術者だったが、富士通の池田敏雄、山本卓眞
などの先人の話は、ワクワクしながら聞いたものだ。
皆サムライと言える様なエピソードをもち、破天荒な事もしばしば行い、
変人とも言われた人達だ。
池田敏雄は、余り知られていないが、アメリカのIBMが日本の国家予算以上の予算と
数十名にのぼるノーベル賞受賞者の研究者でつくり出したコンピューターを
たった一人で、考え出した人だ。
伝説のエンジニアだ。ここまでで無くとも、多くのエンジニアが、明日のの本田、
明日の池田、明日の井深大を目指していた。だからこそ日本の繁栄があったのだ。
彼らは、金計算と利益を求めて仕事をした訳ではない。
しかし、何の資源も無い島国日本が世界に躍り出たのは、技術立国であったからだ。
中国は世界の工場などと、お気軽に中国に工場を移したはいいが、
技術立国としての日本をどうするのだろうか、この国の国防、安全、経済は、
技術立国であってこそ、維持成長出来る。
アニメや観光で国の芯など出来やしない。
私は、日本の再生は技術立国を全面に出してこそだと思う。
IT業界で小金を儲けてでかい面をしている政商に、山本琢眞(元、富士通社長、昨年没)に
叱って貰いたいものだ。(彼は筋金入りの軍人でもあった。)  


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2013年07月25日

明治の息吹

先日横浜に行った時、風変りな建物が目に留まった。
どこかで見た事のある建物、そういえば写真でみた横浜正金銀行だった。
明治の日本が世界を相手に貿易を初め、それを決済するための銀行だった。
7代目頭取が高橋是清、10代目頭取が井上準之助。
後の東京銀行、そして今の東京三菱UFJ銀行になる。


  


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2013年07月24日

中国経済が心配

上海の株価暴落以降、中国経済の不穏な話が耳に入る。
銀行の貸出金利の自由化だとか、シャドーバンキングだとか、
シャドーバンキングで動くお金が400兆円とか・・・
投資頼りの中国経済から欧米資本が引き上げたとか。
最近聞くのは、中国が経済崩壊したあとの後始末、12億の民をどうするか、
そんな話題が出てきている。
地球人口の2割が難民なんて、どうするのだろう。
水も空気も汚して住めない土地を捨てて、逃げて来るというし。
周りの国は災難以上の状況になるだろう。
そんな国にすり寄る韓国って何?
そんな事考えていると、寝苦しい夏の夜に、悪夢を見そうだ。
ナンマイダブ。  


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2013年07月23日

汗の水たまり

今年の夏もあついのだが、今年は何故か汗をかかない。
全くかかないのではなく、汗拭きタオルを絞るほどかかないのだ。
若い時、まだスマートだった時は、余り汗をかかなかったが、中年になり太ると、
汗っかきになった。
若い時、友人(巨漢の)が、汗拭きタオルを絞って汗をだしているのや、
ゴルフの練習場で下を向いているとき、汗の水たまりが出来るのを見て、笑い転げたが、
今は笑われる側に回った。(情けない事に)
汗をかくのは疲れるものだ。
やっぱりダイエットが必要なのだろう。
すこし落ちたが、あと10キロは落としたい。先は長いのだ。
ふ~!!
  


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2013年07月22日

風立ちぬ

宮崎駿の「風立ちぬ」を観た。
彼の作品はかなり観たが、一番解りやすい作品で面白かった。
私は、彼より一回り以上若いが、彼の考えるエンジニア論は、とても良く解る。
子供の頃、小遣いを握りしめてプラモデル屋へ通った事を思い出す。
多くはゼロ戦、そして戦艦大和だ。今の時代の戦争否定者からすると、とんでも無い
などと言われるのがおちだが、当時子供心にゼロ戦も大和もその姿が美しいと思っていた。
どんなモノでもその究極を求めたデザインは美しい。
たといそれが兵器として使われたとしても、そんな事を言っていて昔を思い出した気がする。
日本刀でもそうなのだ、人を切る事だけの機能であるならば、アーミーナイフのほうが有能だ。
しかし、日本刀は、その美しさに於いて類をみない芸術品なのだ。
本田宗一郎もそうだ、若い時、その飛行機の美しさに憧れエンジニアの道に、
しかし、その技術でF1に勝利し、世界のホンダと言われた。
彼は、自分が技術者から経営者のしての欲が出た時、潔しとせず引退した。
人生の才能のピークの10年に何を観、何を残したのか、宮崎駿のこの作品は考えさせてもらえた。
そういえば、私はエンジニア志望であったのだ。
政治や金計算は苦手なものだった。
原点を見つめる事は大事だ。多分、人生の終わり方を考える事に役立つのだろう。
興味のある方は、一度観ると如何だろうか、それと若者たちは何を感じるのだろう。
そんな事を思った。  


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2013年07月21日

組織の衰退

最近見たニュースで、柔道の道場に、子供の入門者がいないという。
理由は、あえて言わなくても良いかと思うが一連の不祥事であり、その対応を見た一般の人達のレッドカードだ。
どの様な組織でも耐用年数というものがある。
企業でも団体でも同様だ。
あえて言えば、エントロピーの第二法則といい、不可逆性の法則という。 松下幸之助は、自分が居なくなったら会社は20年もてばいいと言った。
今25年、名前を変えたパナソニックも苦しんでいる。
しかし松下幸之助は、こうも言っている。人間は万物の王者であると。
その意味は、人間のみがすべてを再生できる力があると、ホメオシタシス、再生力という。
だから人間は偉大だという。
人材育成、人材開発はだからこそ必要なものだ。
柔道の世界は待ったなし、そんな時だろう。

  


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2013年07月19日

指示待ち族

企業の成長は、一人一人の社員の成長だと思っているのだが、
中小企業などで、中途採用で人を取ると、一番困るのが「指示待ち族」だ。
多くの中小企業はマニュアルで動く様な企業ではなく、自分で判断して
仕事をこなして行く風土になっている。
その様な所に「指示待ち族」が入ってくると、社長も含め一生懸命に教えるのだが、
中年の指示待ち族は、かえって反発をして風土になじもうとしない。
そういう人を一人でも多くちゃんとした戦力にしていく事こそが、これからの企業
特に中小企業のテーマとなると思う。
職人文化、商人文化を残す日本の中小企業と、
多くはアメリカナイズされた経営論で人を使っている一部大企業との文化のギャップが
その問題なのだが、この問題は根が深い。
お気楽な経済アナリストや経営コンサルタントが、日本の経営者の質が落ちたといい、
ハーバードビジネススクールに現在日本人が少ない事を理由にあげて島国根性というが、
ハーバードビジネススクールの優等生が経営して、今日のデトロイト市の倒産だ。
日本には規模を求めず次世代に仕事を継がせようとする風土があり、
それこそが世界に誇れる経営だと思う。
そこには指示待ち族の住む場所はない。
仕事は、任され自分で工夫するからこそ楽しい。
命令のみでする仕事は、奴隷の仕事だ。  


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2013年07月18日

蝉の声

ここ2~3日は蝉の声がにぎやかになって来た。
例年より少し早いようだ。
クマゼミの声を聴くと、本当に夏が来たと思う。
今朝駐車場にクマゼミが寝ていた。
実は死んでいると思い、掴んだら、気が付いたらしく。
羽をバタバタし始めた。
良く見ると、まだ羽化したばかりのセミだった。
きっと羽化した時、駐車場の蛍光灯を太陽と見間違い、駐車場の天井に体当たりして、
気絶していたのだろう。
一週間の命の大事な時間に気絶していたわけだ。
あわててセミは飛んで行った。
何だか私自身を投影しているセミに思えて、
「せっかく生まれてきたのだから、短い時間でもしっかり生きろよ。」
そんな声をかけたくなった。
しかし、こんなアスファルトとコンクリートばかりの中で、良く生きながらえているものだ。
日本の中小企業も、かくありたいと思う。  


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2013年07月17日

暑い夏

梅雨も明け、じりじりした暑さが続く毎日。
昨日は、清水では灯篭流しがあり、写真を撮ったりして夜の川べりを涼んだ。
川を流れる灯篭を見ると、昔亡くなった人から最近亡くなった人まで、
数限りなく思い出され寂しい。
しかし、亡くなった人の事を思い出すとき、誰もが笑顔をしている。
怖い顔や嫌な顔をする人がいない。思い出というのはそういうものだろう。
たとい嫌な事をされた相手であっても、灯篭に乗って流れていく。
まともな人間というのは、時間が経てば、
たとい嫌な事をされても許していける者だと思う。
それこそ、それが人が幸せになる近道なのかとうも思う。
近くの国で1000年呪う、とか言っているオバサンとういうか御婆さんというか、
そんな人もいるが、そういう事を政争の具にしていると、
幸せにはなれないだろうし、親も土の中で悲しい思いをしているだろう。
大衆迎合の人気取りだろうが、彼の国でもマトモナ人もいるだろうに、
本音を隠して亡くなっていくのだろう。
御苦労な事だ。  


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2013年07月16日

店長は不愉快?

昨日ファミレスに入ったのだが、席まで案内してくれたのが店長らしき人。
ニコリともせず小さな声で席まで案内してくれた。
物腰は雑では無かったが、全く笑顔はなくちょっと怖い感じだった。
年の頃なら30代後半から40代初めの働き盛りという所。
アルバイトらしい若い女の子はは明るく元気が良く、感じも良い。
時たまミスをするのも愛嬌のうち?(女の子には甘いのだ。)
しかし、その中で店長は動き回っている。
例の不快そうな顔で。ファミレスの店長というのは、
ブラック企業の典型と言われる。
基本24時間店を見て居なければならないし、
アルバイトの教育から、新しい商品の勉強。
アルバイトの出退管理、募集に至るまで、すべて行う様だ。
正社員であるかも知れないが、ストレスもたまるだろう。
あの年代だと自分の将来も見えて来る世代。
そういう意味で、仕事について考えているのではないだろうか。
彼らは、就職先が選べずに就職した世代。
人として大事にされなかった第一世代だ。
そんなストレスの中で仕事をしている彼に、
「頑張れ」と言いそうになった。
仕事はやるものだ、しかし、楽しくやるものだ。
辛い仕事を楽しくする努力。そうでなければ唯辛いだけだ。  


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2013年07月15日

パチンコ恐ろし

昔、パチンコと言えば日がな一日年寄が世間話をしながら、
1日かけて一握りの玉を打ちタバコを持って帰って来たものだ。
そんな時代のパチンコが好きで、毎日の様に通ったが、
電動パチンコ、スロットル、コンピュータ制御と変わったところで、
疲れてしまい、行く気が起きないようになり何十年か遠のいてしまった。
だから特に好き嫌いも無いが、今のパチンコは興味がわかない。
しかし、先日仕事で用があり、パチンコ屋の事務棟の中へ届け物をした。
そして中に入り店長が来るのを待っていると、部屋の中の何枚か女性の写真が貼ってある。
年の頃なら30歳前後なのだろうか、目がうつろで生気がない。
そして、その写真には「要注意人物、見つけたら連絡を」とあった。
こんな子がどんな悪い事をするのかと思ったら、お客さんの玉を盗むのだそうだ。
いい大人がそんな事をするのかいなと思い事務所をでたが、
後日友人に聞くと、今のパチンコは、お前が知っている牧歌的なものでは無く、
恐ろしく博打的で、一日に10万20万は軽く負けるし、しかも中毒になると月100万以上使うという。
そして、サラ金から借りまくり一家離散、中には自殺者も多いと言う。
本当にパチンコ中毒という病気もあるという。
これになるのは、主婦・学生・年寄、しかも金が無い人に限って中毒になるというのだ。
そんな恐ろし事のなっているとは思わなかった。
私が知ってるパチンコとは似ても似つかない。そろそろ行政がストップを掛けなければ、
こんなもので、平和な家庭が壊れると思うと、情けない。
  


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2013年07月14日

働く事が生きる事

長いデフレの時代にあって思うのは、デフレの時代は価値観が
ひっくり返っているという事だ。
一言で言ってしまうと人の価値より金の価値が常に上にあるという事になる。
私は、企業価値とは、働く人達の熟練した技術そして人間性の総称だと思っている。
しかし、デフレの時代は、人間などいくらでもいる仕事が欲しかったら、
何でも言う事をきく従業員として安い給料で働け、というメッセージなのだ。
それを堂々とやってのけ、気に入らない社員はリストラでどんどん首を切り株主利益を
最大にする経営者が成功している。
つまり、人は働く道具としかみない経営者が良いと思われている。
しかし、そんな事が長く続くだろうか、そんな事をしていたら貧富の格差は広がり、
食べられない人達は立ち上がり、平和ではなくなる。
それを越えてきて人間は、賢くなってきた。しかし、いつの時代でも、自分は他者より豊かに
しかも働かずに豊かになりたいといった人達がいるもので、
その人達が社会不安をおこしてしまう。
人類は常にそれと戦ってきたのだ。
繁栄を通じて平和と幸福を・・・これがPHP運動にこめた松下幸之助の思いだ。
皆が楽しく働いて豊かになる事が理想なのだ。
人が羨む大御殿や守衛や警備隊まで置かねばならないほど金を集めて、それが幸せと
考える馬鹿者が減らなければ、人類は本当の幸せを手に入れないだろう。
働く幸せを理解しない不幸が早く終わらねば、馬鹿な人間の失敗を繰り返すのみだろうに。  


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2013年07月12日

まいった

昨日は30分以上かかって書いた熱文が登録できなくて疲れた。
これで3度目だが、理由が解らない。
昨日は普通の経済論を書いたのだが、言い回しなどで引っかかったのか、
引っかかった単語を知らせろと言っても、答えられないという返事。
まあ、そんなもんかという所だ。
ところで、一昨日書いた吉田所長について、色々な意見を見ていると、
彼が部長当時、福島第一原発に十数メートルの津波が来るという報告を、
そんな事は考えられないと退けて、防波堤を作らせなかった。それが今回の元を
作ったのだから、彼を美化する事は、ありえないという。
テレビのコメンテーターでも、その事を強調する人もいた。
確かにそれは事実で本人も認めている。だからこそ命を懸けてるのも、間違いない。
かれはその責任のすべてを被って黄泉の国に旅立った。
しかし、間違いは誰にもある。しかも、その責任は彼のみにあらず、彼以上の地位にある
東電の責任者すべてにある。
彼は、それを一言も言わずに往った。
彼の上司にあたる連中は、どうなのだろうか、声が聞こえてこない。
だから、それらの事があったとしても、吉田氏の見事なリーダーシップが
この国を救った事には変わりはない。私は、そう思うのだ。  


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2013年07月11日

本文に登録できない単語が含まれています

きょうは、何回更新しても、更新できない。
「本文に登録できない単語が含まれています 」だそうだ。
どの単語だろう。
ひとまず更新は諦めた。  


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2013年07月10日

リーダーの死

東京電力第一原子力発電所の吉田昌郎元所長が亡くなった。
癌だというが、戦死というほうがぴったりして居る様に思う。
原発事故という最悪の事態に対して、現場責任者として見事なリーダーシップ
だったと思う。
運悪く最低な国のリーダーと無能な上層部の中で、命がけで働いたリーダーシップ
があってこそ、あのくらいの被害で済んだ事は奇跡に近い。
彼のリーダーシップは、部下が「親父突撃隊」をつくり一緒に死のうと言った事に
その真価がある。最後まで現場に戻りたかった様だ。
それは皆戦友だからだろう。
それと震災の津波で二人の部下を失った事もあると信じている。
原発第一運転管理部の小久保和彦さん(24)と寺島祥希さん(21)の2名の若者だ。
彼らは地震後の原発を確認に行って津波で亡くなった。
その遺体を見つけるに電気のの無い暗い中必死の探索でも2週間以上かかった。
これらの部下を亡くした原発で死にたかったのではないだろうか。
これで三人目の戦死者と思う。
原発が不要だ迷惑だという人達がいるが、それとは違う現場にこの3人の様な真面目な
人達がいてこそ我々は助けられていると思う。
この3つの魂に魂安かれと思う。 合掌。  


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2013年07月09日

経済の足音

日経平均が変動する。
今はまだ日本経済の反映というより外人投資家の思惑買いの時期なので、
一喜一憂する時期では無いが、中国経済の影が反映している様だ。
中国経済は土地バブルは弾けるのを政府が誤魔化している状態だが、これらが
どこまで統制できるのか、中国の官僚の汚職は日本などのそれと違い滅茶苦茶なレベル
と言うわれている。
それを無理やり押さえている状況でバブルが弾けたら・・・・
という実験の状況を世界が固唾をのんでみている状況だ。
しかし、普通の民主主義国ならとうに暴動どころか革命が起きている様な状況を軍隊と
武装警察で抑えこんでいるが、その国が国の体をいつまで保てるだろうか。
しかし、中国が経済破綻したとしても、日本のGDPへの影響は数%以下だと言われている。
影響が無いとは言わないが、深刻に経済がおかしくなる事はない。
軍事的挑発にのらなければ日本経済が世界一安定した経済だ。
しかし、韓国では40%以上という事であり外需に依存している国としては踏んだり蹴ったりだ。
冷静に考えても韓国はおかしな国だ。中国と仲良くした所で、国に利する事は1つも無い。
個人的には特に仲良くしたいとは思わないが、韓国は日本と仲良くしてこそ国民にとって
本当の利益があるのだが、本当にこの国の歴史も気の毒だ。
真実自国の利益のために生きた人は殺され、狂ったテロリストを崇めている。
権力を握ると中国の高官と同様の自分の利害のみに生きる。
この両国はまだ明治維新すら起きていない未成熟な国家だ。
参議院選では、この様な国に飼われている政治家だけは落としたいものだ。  


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2013年07月08日

往きて帰らず

昨日は2歳年上の友人の一周忌だった。
彼は5年前仕事中に倒れ、4年間の闘病生活の末、昨年亡くなった。
一時は強い生命力を見せ、周りの人々に再起の期待をさせてくれたが、
残念な事だった。
葬儀の時は、遺族も含め慌ただしい状況だったが、今回近い友人だけ集まっての
一周忌は、故人の人となりを皆で懐かしく話ながら偲んだものだった。
子供の頃の悪友やら成人してからの友達、そして経営者として頑張ってた頃の仲間。
それぞれが思い出話に花を咲かせた。
確かに60年に満たない人生は余りにも短いと思うのだが、この様に多くの人が集まり
故人を懐かしく語って貰える人生は有り難いものだと思う。
彼は、高校生の時代から親の手伝いをして、親が倒れた事を機会に後を継いだ。
殆ど働きどうしの人生で、朝早くから夜中まで、いつ寝ているのか解らないほどの人生だった。
その働き方を見て息子は、跡継ぎになりたがらなかった。
本人も諦めたふうでもあったのだが、彼は倒れて頑張っている母親を見て、
その息子は黙って家業を継いだ。
今は親が心配するほど休みなく働く。やはり親子だ。
きっと昔から日本では、この様に仕事を続けて来たのだろう。
親の後ろ姿を見て、一度は反発もするが、しっかり跡を継ぎ、次の世代へと。
そういう意味では彼は生きている。仕事を通して脈々と生きている。
そんな彼の生き様を見せて貰った日だった。  


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